エラー
多様性を受け入れるってのは自由のぶつかり合いで
話し合いや調整が要るよねって話をしたばかりで
トイレや更衣室に関するトランスジェンダーの処遇などはまさに現在進行形です
ただ勝手な想像、
人生トータルにおける性の不一致に関する不遇が不満・問題なのであって
トイレや更衣室の件自体が激しく不愉快な訳じゃないと思うんですよ
私が当事者だったとして(そうでなくても)
銭湯だけ女湯にしてくださいって言われても
その一点だけでは苦痛に感じないでしょう
第三の入れ物を用意する・周囲の理解を得る困難さを考えても
「ここは身体の性を基準に分けます」ってのが現実的な落としどころになると思います
もちろん対話は放棄せず
他の面から違和感の小さい人生を模索していく
オリンピックなどにしても同様で
心技体とか健全な精神とか言っても最終的にスポーツは肉体の勝負なので
「あくまでここでは身体の性が基準です」ってのが
多くの人の納得を得られる、んじゃないかと思う
このラインも別に社会的な合意ができてる訳じゃないんですが
さらに発展形として物理的に性転換済みの場合どうする、ってテーマがある
これも個人的にはトイレ・風呂は身体の性基準かなと思いつつ
スポーツはちょっと同等に考えられない
女になっても男の筋力があったらやっぱり有利に見えるし
ニュースの件は重量挙げという特に筋力がものを言いそうな競技なので
そりゃ議論呼びますよね
パラアスリートの記録が健常者超えるときの状況に通じるものがあって
理想は義手・義足や性転換によって有利にはなってない、と
科学的に数値化できることでしょうが、ちょっと想像がつかない
どんどん当事者の声や専門家の意見を集めていきたいところです。