LGBTと小児性愛者は同じ、といえる部分もある

雑記

立場のある方は発言を切り取られるため言いにくいでしょう
ひっそり私が言っときます
本は未読につき一般論の範囲で

私たちは理解しあえるのか?多様性とは、差別とは何か。
朝井リョウの挑戦作「正欲」から考えるこんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。「種の保存にあらがう」 自民議員のLGBT差別相次ぐ性的マイノリティへの理解増進や差別禁止をうたう理念法、いわゆる「LGBT法案」が成立手前まできて

同じなのは
生まれ持った変更困難な属性を理由に迫害を受け、生きづらい状態になる点です
人種差別なんかもまさにそうですね

同じでないのは
同性愛は大人同士各自の責任で行えるのに対して
子どもは心身が未発育で必要とされる条件を満たせないということ

それを当たり前と認識するか検討の結果と認識するかの違いは大きい

自由は他者とぶつかることがあるので
適宜整理したりルールで縛ったりする必要があります
人を殺したい自由は殺されたくない自由の前に押さえつけられます

ただこれを当たり前(無条件)と言っちゃうのは危険で
大事な原点に立ち戻ると
世の中に絶対の正義なんてない
「こうあるべきだよね」ってのを話し合って決めて
その基準に合うものを「正しい」と呼んでるだけ
なんですよ

だから当然
やっぱり間違ってたなと気づいたり時代に合わなくなったりした基準(ルール)は変更されるし
変更されなければなりません
実際(ある程度は)そうなってますよね

「当たり前だから」と反対意見を述べることすら許さなかったら
地球は今も天動説ですし
奴隷に権利がないのも女性に権利がないのも当たり前なままです

本書の件は自由を尊重する行為に対して
それが信念に基づくものなのか
ファッションや反権力の手段にすぎないのかを判別するリトマス紙になる気がします
図星を突かれて真っ赤になってる人たちの姿がすでに見受けられますね

自分に都合のいいルールを作ってそれを正義と主張するやり方は
反対意見にはヘイト、賛成意見には表現の自由と称するやり方と共通するものを感じます
(人の範囲も重複してそうに見えます)

意見をもったり発信したりは自由であって
堂々と正面からぶつけてやればいいのに
相手を土俵にすら上らせない、横から攻撃するのはアンフェアだ

一人一人考え方が違ってぶつかることもあるけども
最低限そのラインの良識を共有できるとこまでいきたいものですね…

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