『アイヌからみた北海道一五〇年』

北海道命名150年の機会に様々な立場のアイヌの人に寄稿してもらった長短の文集、
のため整理して情報を入れるには不向きだが
一様でない一人一人の思いに触れることには意義がある

しかし一様でないといってもやっぱり敵意強いのは目立つよ
これでは中立の人・潜在的な味方を遠ざけかねない
各種マイノリティ保護過激派と同様の傾向が出そうです

和人にひどい仕打ちを受けたことで和人全体を憎んでもお互い不幸になる
直接被害があって感情が抑えられないのは致し方ないけれど
生産的な方向に引っ張る人がいないと活動(闘争)そのものが目的化します

和人の代表だから・適切な策を講じなかったからって政府を過剰に敵視すれば
政権批判が生きがい(あるいは収入源)の人が仲間になってくれる反面
大多数の中間層は引きますよ
“関わると面倒な人のグループ”と無言のうちに認識されてしまう

ネットで差別的な言葉を見かけるというのも当然我慢することはない
非難し情報を正す意義はあるでしょう

ただ正直なところ
ネットって社会の縮図と見るにはそれなり偏った空間なんですね
(そのへん見誤った政治家が的外れな手を打つケースもある)
で、その狭い世間の中でも
アイヌに攻撃的な言葉って私は今まで見た覚えがない

別に無視しなくてもいいけど
そんな一握りのズレた相手にたくさん時間とエネルギーかけて
本当にそれでいいのか?とは思うの

以前テレビで脳みそ夫が言ってはいけないことを言って問題になったことがありますよね
でもあれ誰かの悪意というより
おそらくその場の誰も知らなかっただけの話で

「あ、犬」そのものが差別的とはなかなか思いません
以前語った“ネガティブな気持ちで繰り返し使われて言葉に色がついたケース”で
たとえばゴリラっぽい人をゴリと呼ぶのは悪意とは限らないし
米倉千尋はあだ名が小猿由来だと普通に話していた
つまり文脈や信頼関係次第ということ

もちろん知らないことが罪だという考え方はありますよ
ただ行為・事実を記憶に刻めというのはわかるが
「具体的にこういう言葉が悪意をもって使われた、だからこの言葉はいけない」
ってレベルの周知は必要でしょうか

だって 「あ、犬」 なんて小学生でも思いついてしまうシャレです
絶対誰にも言わせないようにと思ったら
「これは言ってはいけない」と未来永劫周知し続けなければならない
むしろそっちの方が不快に感じる人もいるんじゃないか…

マイノリティの中のサイレントマジョリティの声が聞きたい。

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