平等という幻想

言葉

そういやDaiGo君がきっかけに触れてくれてたので
1回掘っておこうと思う

猫の命は人より重いと聞くと暴論に感じるかもですが
当たり前の話、人命は等しく大事で他の生物より優先されるってのは
あくまで人間が作った仮のルールです
神がいたらもちろんそんなの知ったこっちゃないし
人間(奴隷等)の命が軽い時代や猫の命が重い時代もあった

ルールを守ること・意義を考えること・修正していくことを
決して怠ってはいけません

そんな具合で、同じ禁忌でも
神聖だから牛を食べないヒンドゥー教に対して
不浄だから豚を食べないイスラム教は個人的に印象がよくない
人間風情が他の種を不浄視するなど何という思い上がりか、とw

それとエサって表現もちょっと引っかかるものがあって
食べ物をあげる行為を「エサをやる」と言うのはまだ(存在意義が)わかるが
野生動物の食事を「エサを探す・食べる」と言うのはどうなんだ
ごはんって言葉は人間様だけのものだ、ケモノはエサで十分!
そんな驕りを感じてしまう訳です

言葉ついでにもう1つ
「亡くなる」は他人様にも身内にも使えるのが珍しい一方(丁寧語扱い?)
動物には使うことができないんですね

以前公的な文書でペットについて書く機会があって
書きものに人一倍こだわる私とはいえ
家族であるペットに「死んだ」なんて無骨な言い方はしたくない
正しさより思いやりが優先されるべき場面がある
そう思ってあえて「亡くなった」を用いました

案の定後日お叱りが入りましたよ
いるんだよなあ正しさを振りかざす人って
仮のものだと疑ったり意味を考えたりしない
世の中がよくなるとか誰が幸せになるかって視点がないんだわ

なんか話が広がってきたけど
ネットが普及して皆が無益なもの振りかざす時代になったよねと

なお私は人間の増長に冷ややかなだけで
人並み以上の動物愛護精神はないし
ペットを飼いたいと思ったこともありませんw

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