『聲の形』

映画・ドラマ

きっついわ…

かつていじめてしまった聴覚障害のある子と再び交流し直す
思春期の悩みと成長の物語、で

映像がきれいで内容も濃い
映画のサイズによくまとまってる(一見)良作なんですが

それなりのお金と時間投じて映画館で見たら
「なんでこんな気持ちにさせられなきゃならないんだ」ってぐったりするわ
根本の根本、何の目的で作ったんだという疑問がまずある

さらに一見グッドエンドなものの
冷静に考えるほど腑に落ちない
だってこれ、いじめられた側が変わることによって事態が改善してるんですよ

そんな鬼畜のクリエイターはいないと信じるので意図せずの結果なんでしょうが
素直に作品のメッセージを解釈すると
いじめられる側が態度を改めれば問題は解決する」としか取れない
だからなおさら後味がよくない

いじめを受ける側に原因がある理論については
原因があるケースないケースどちらもあると思います
しかし原因があるイコール非があるではないし
仮に非があったとしてもいじめる側に100倍非があるのは明らか
です

主人公は被害者の立場を知ることで劇的に更生した一方
他の加害者は謝るどころか自分を省みることもなく
そのまま世に出てく訳ですよね(実在の見本)
結局“自分が痛い目でも見ない限り人は変われない”ということになる

そんな救いのない、現実の冷たさを表現したと見ることもできるかな
人間の醜さ身勝手さを描くことで何かを感じ取らせる意図…

でもちっちゃい子にはやや難しい内容だし
いじめる側の人ってあんまりアニメ見ないと思うんだな(偏見)
カイジくらいは見るかもだけど京アニ作品は見ないでしょう(すごい偏見)

なので全般に高いクオリティにかかわらず
存在意義が、勧める相手や理由が思いつかない
例によって自己責任でどうぞ

まあ唯一前向きに思えたのは
加害者(主に黒髪の子)が自分のやったことをごまかしたり忘れたりしてなくて
思いをとことんストレートに語ってることで
それでも腹は立つし100倍非があると思うが
最低限そこのフェアさがあるなら多少マシな関係に近づける、
一縷の希望はあるのかもしれない。

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