審判は難しい仕事である、
そうでなくても他者に敬意をもつことは大事だ
とはいえ敬意を払うイコール一切批判しないということではないでしょう
一点目
世の批判の多くはミスジャッジに対する抗議ではなく
注意の仕方が威圧的だったことと何の説明もなかったことを問題視してるんですね
感情的になって正規の手続きを踏まない、混乱を生じさせておいて説明しないってのは
野球とかアンパイア以前に社会人としてとてもまずい姿勢です
しかも行為を指導・処罰するシステムがない以上個々人が声を上げるしかない
(たとえば裁判官には国民の審査を受ける制度がある)
二点目
「自分ができないことを批判するべきではない」ってのは人格者の発想なんだな
そう心がけるのは美しいがすべての人に求めるような態度ではない
それはつまり「歌下手だな」「芝居下手だな」と思っても自分より上手いから言わない、
飲食店で美味しくなくても自分より料理が上手いから言わない、
散髪が気に入らなくても自分にはできないから言わない等々の世界です
さすがに窮屈すぎるし、切磋琢磨しなくなるよね(社会主義みたいなもんよ)
プロとして何かを提供するなら一定の覚悟が必要だ
私は素人だけど自分の作品を好き勝手言ってもらいたいし
他人の作ったものについて遠慮なく語っている
もちろん
「死ね」とか「生きる価値がない」といった暴言は害しかないので取り締まるのがいい
でも批評には意義があり、中傷とは区別するべきだ
素朴な感想も言えない世の中はポイズンだ的なことを反町も言ってる
お互い様だから大目に見ろ、ではなく
選手や監督側の非礼を見直せ・謝れ、の方がまだしっくりくるかな
こじれた後はだいたい謝ってるイメージでいたけど
実際はどんなもんなんでしょうか
ビデオ判定にも後ろ向きな節があって合わない部分は出得る
それでも物怖じせずはっきり意見を言う一方で
審判への気遣いだけでなく一般人にもマメに対応するダルビッシュには好印象しかないわ。