審判論

雑記
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出発点こそ佐々木朗希でも核心はそこじゃなく
技術が進んで機械が判定できるようになったら人間の審判は要らないかという
スポーツ全般のお話

ダルビッシュに至っては
審判の存在意義にかかわるためビデオ判定の利用にすら懐疑的なようですが
結論共存すればいい、それは私たち次第と言える

論点①判定能力を発揮する必要がないなら審判は要らないか

んなこたあない
究極的には相撲を想像してください
差し違えても物言いで直せるからって行司なくしちゃダメでしょ
テニスもクレーコート以外は全部機械の判断でいけるように見えても、

試合を進行させる役割、および
儀式様式的な役割がある
世の中の全般に言える話、独自の判断をしない仕事を全部機械化できる訳ではないし
人間がやるから価値があると思うことによって価値は生まれる

論点②誰が判定しても同じになるなら労働意欲の妨げになるか

これも気の持ちよう
どんな仕事でも高い意識でやれるかは自分次第だ

スムーズに・快適にプレーできるよう気を配る部分では個人差が出る
またビデオで検証されれば誤審の数や割合がわかるので
成果を見る指標になるしモチベーションの材料になり得る
つまり本人次第なのよ

議論の本質は
機械が人間の仕事を奪うことへの対応であり
産業革命の頃からある実に古いテーマです

でももしあの時全面的に打ち壊しに走ってたら文明は発展せず
人類はずっと農業など一次産業従事者の割合が高いままですよ

何かをしなくてよくなれば別の何かをすることができる
それが人類の歴史であり文明であり文化じゃないですか

機械とはあくまで道具・手段であり
100か0に振り切らない、ちょうどいい関わり方を模索していくのが
良識ある妥当な姿勢と言えるでしょう。

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